1890年に創建された、吉田松陰を祀った神社。当初は兄である杉民治邸内にある、土蔵造りの小祠の中に赤間硯を御霊代として祀られていたが、1907年に萩城内にあった宮崎八幡宮の拝殿を移してそれを本殿とした。そして、現在地へは1955年に新しく社殿を造営した際に移った。
神社の前の駐車場はバス専用なので注意が必要。普通車は道路を挟んで向かい側にある。その私は向かい側の駐車場に停めたが、おそらく他にも点在しているはず。
境内は広く、吉田松陰が遺した著述・物品が保存されている宝物殿や、吉田松陰の生涯をろう人形で再現した歴史館などがある。
吉田松陰と言えば一番有名なのがここだろう。境内にある松下村塾だ。
松陰の叔父である玉木文之進が自宅で塾を開き、家の所在地である松本村にちなんで名前をつけたのが松下村塾の始まりである。文之進は仕官となったため、松陰の外叔父にあたる久保久成が手習塾を開き塾名を継いだ。松陰が塾を継いだのは1857年である。塾は小屋を改造(8畳1間)したものだったが、1858年に増築して現在の形となった。
吉田松陰は2度目の黒船来航時に海外渡航を企て、1854年10月に野山獄へ幽閉された。1855年12月に出獄した後は、実家の杉家(境内:国史)の一室に幽閉。その間も親戚や教えを乞う者に講義を続け、1857年11月に松下村塾を継ぐこととなる。その後1858年7月に藩から家学教育の許可を得たものの、1858年11月に再入獄となった。この出獄から再入獄までのわずかな期間で、明治維新・新政府で活躍した入江九一、久坂玄瑞、高杉晋作、前原一誠、吉田稔麿、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎らを生んだ。
歴史の勉強は頭が痛いけど、この塾に関することだけでもこれだけの歴史があるとわかると、なんだか楽しくなってくる
大人になって歴史の楽しさを知る
萩市民の吉田松陰への想いはアツく、公式HPでも『松陰先生』というように記載している。
地域が一体となって敬っている感じは、見ていて素晴らしいと思える。たまに『呼び捨てにするな。松陰先生と呼べ』と強要してくる人もいるらしいけど
幕末~明治にかけて躍進した若者たち。彼らを動かした吉田松陰の教えや歴史に触れたい方々にはオススメの場所。ここに訪れることで、みなさんにとっての新しい道が開けるかもしれない。
詳細
女性用のトイレの数は、男性用のトイレの数を参考にしてください。
Please refer to the men’s restroom to see how many toilets there are for women.