2019年1月 島根旅行④-物語-

旅行記

仮眠から目を覚ました時には15時になっていた。狭い駐車場は適度に埋まりつつあり、観光客も徐々に増えてきた。

車を降りて砂浜を散策する。

浜からは三瓶山が薄っすらと見える。

弁天島より右側には、全く人がおらず風紋がみられた。

また、綺麗な貝殻も打ち上げられており、私はそれをなんとなく手にすると意味も無く並べてみたりもした。

ポツンと寂しく夕日を眺める岩があった。後ろには不自然に貝殻が並んでいた。恐らく誰かがここに置いたのだろう。案外、私と同じようなことを考えている人もいるものだと思わず鼻で笑いながら、いつ置かれたのかわからないわずかばかり距離が離れた貝殻を、傍に寄せてやった。

時間としては一時間だろうか、気が済むまで散策した私は弁天島まで戻る。良い具合に日は傾き、徐々に空が赤みがかっていた。観光客は数を増やし、もはや従来の位置での撮影では大量の人が写り込んでしまうほどだった。

どうにか位置取りをして撮影したのが

これである。人が多過ぎて砂浜を写すことができず、更に多くのカメラマンも居たため、これが私のベストショットとなった。若干の物足りなさはあるが、水面のきらめきや日の赤さ、逆光を利用したシルエット。およそ私が表現したかった写真が出来上がった。

それから私は、カメラをしまってしばらく夕陽を眺めた。

浜を走り回る親子の声を聞き、ふと私の友人を思い出した。

その友人は離婚・親権争いの末、裁判に負けて全てを失った。裁判は数年を要し、その間男手ひとつで子供を育てていた。裁判で負けて、親権を失った男は愛する我が子との別れを余儀なくされた。

裁判の結果が出る直前から、男は嘔吐を繰り返した。その当時は、すでに野菜ジュースを飲んでも吐くくらいになったようだ。それまでも、「弁護士から届く封筒をみるだけでも、吐気がする」と言っていた。

親が子供の手を離すというのは、子供が親元を離れる、あるいは親に縁を切られるのとは全く別次元の辛さだろう。私は独身だが、子供の為なら無条件に自分の命を削るくらいすると思うし、それが親と言うものだと思う。男もそうだったからこそ、数年間も家事や育児、裁判と仕事をこなしてきたのだ。

『父の日に保育園で似顔絵を描いてくれて、「ぱぱいつもおいしいごはんありがとう」って書き添えられてたこと、喜んでたなぁ・・・』

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夕日は完全に姿を消し、観光客も引き始める。残り火に照らされる水平線を眺めながら大きく息を吸い、そして深く息を吐き出す。潮風には昔から何故か癒される。静かになった砂浜を見て、友人と子供が別れた日の話を思い出す。

別れの少し前の段階から、元妻と子供の面会交流の際に玩具などの荷物を小まめに渡していた。子供は、最初は『?』という顔でその光景を見ていたが、面会先でも沢山のお気に入りの玩具で遊べるということで「これも持っていく!」と喜んでいた。

しかし、徐々に衣類などの生活用品を預け始めた時、「何で○○(子の名前)ちゃんの服を入れるん?」と、荷物を整理している男に質問してきた。男は子供の頭をヨシヨシしながら『パパ、お仕事で大変でね、○○ちゃんを守れんことなったんよ。ママに○○をお願い~って言ってあるから、ママに守ってもらうんよ』と、そう笑顔で言った。子供は困った顔で「一緒におる~、、、」と言ったが、男は『大丈夫、パパはここにおるんやから、寂しくないよ』といって子供を膝に乗せて整理を続けた。

何度か面会交流を挟んで、いよいよ別れの日。男は子供を不安にさせないように、なるべくいつも通りの面会交流の雰囲気で送り出すことにした。

いつも通り

子供は行ってきますと言った

いつも通り

男は窓から手を振る子供に向けて、笑顔で手を振った

子供を乗せた車が見えなくなって、男は道路を走る車の流れを見つめた。

なんとなく庭を見て、転がっているシャボン玉の容器に目をやった後に

空を見て、雨が降っていることに気付いた

家の中に入りリビングを見渡すと、部屋がさっぱりしていることに今更ながら気付き

さっきまで妖怪メダルが落ちていたその場所で、男は膝から崩れ落ちるように泣いた。

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すっかり夕焼けも黒く染まり始めた。私は立ち上がって、肺いっぱいに潮風を吸って歩き出す。一生懸命やっても叶わないものだってある。

所詮は私たち、同じ水たまりに住む微生物と同様。環境に翻弄されながら蜉蝣の命を散らせていく。

世界ってそんなもん

そんな中でも、例えば生み出される火花のように精一杯幸せに輝けばいい。

たった一泊二日の島根旅行。古い友人の物語を思い出し、私は美しくも残酷な世界に生きてるのだと実感した。

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ぽけナマケ
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