美川ムーバレーから川沿いに、県道5号線をまっすぐ進んでいくと2~3分で右側に曲がるよう案内板が出ている。水車の目の前の駐車場は、普通車が3台程度とかなり少ないので、案内板を曲がってすぐにある立体駐車場を使用した方が賢明。
立体駐車場からは、徒歩3~5分くらい
道から川を挟んですぐの場所にあるので、見つけるのは容易。大きさとしては3階建ての建物に匹敵し、近くに寄るよりは少し離れてから見るくらいが調度良い。一応動いていた。
木で出来てるけど、腐って水の重さで壊れたりしないのかな?
水輪の部分は地方によって違うけど、腐敗しにくい木材を使用してるみたい
水車の左側には岩屋観音への参道がある。が、ここで注意してほしいのは、この階段を登ってすぐ右手にある階段へは登らずに、そのまま真っ直ぐ進んだ先に赤い手すりの階段があるのでそこを登る事。これを知らずに右手の階段を進むと、わけのわからない所へ連れて行かれる。
ひぃひぃ言いながらこの階段を進んでいったら、どんどん山奥に進んでいくことになるよ
当然、その先に岩屋観音はありません
本当、途中で引き返して正解だった
赤い手すりのついた階段の先に岩屋観音窟がある。
延暦23年(804年)に弘法大師が留学先の唐から帰国し、日本各地の名山霊場を巡歴していたところ、たまたまこの地で杖を止めた。その際、楠の古木に観音像を彫刻し岩屋の霊屈に安置したことが始まりである。
鍾乳の点滴が木像を包み、今ではほぼ石仏となっている。
木質の部分は僅かに残る程度で、内部はほとんど空洞らしい
昭和9年に国の天然記念物に指定された。
藩政時代には、1676年に毛利綱広が山代代官佐伯長右衛門に命じ、山ノ内にあった受恩庵を岩屋観音前に移した。これを、洞窟内の聖観音を護寺する意味で岩屋護聖寺と命名する。その後1695年に、毛利吉広の命で代官井原小七郎によって仁王門と通夜堂を造立。現在は守護の金剛神のみ堂に残っている。
お寺関係はいたる所で毛利さんの名前が出るね
そういったものが盛んだったんだろうね
ただ、この観音窟の入口には鳥のフン(?)らしきものも落ちていたりするので、足元には注意が必要。
詳細
女性用のトイレの数は、男性用のトイレの数を参考にしてください。
Please refer to the men’s restroom to see how many toilets there are for women.